ある日の自動車と私(思いだしながら)

ゆったり15の最後の全日~定時学生生活

4年制の1年目は全日昼間、三級自動車整備士取得を目指して座学と実習の毎日。実車はトヨタの二代目クラウン、エンジンは直列四気筒1900cc。三級整備士免許は一年目の翌3月学科試験合格(実技試験免除)をもって取得出来た。乗用車を触るのは初めてで15歳でまだバイクの免許も取れず悶々と過ごす毎日。誕生日が来てすぐバイク免許を受験。ほかの同級生は自動二輪だが、なぜか50ccの原付免許で満足。学科試験のみで取れたと記憶している。その後乗用車免許を取ったんだが1年先輩たちは乗用車免許に自動2輪が付いてたらしい。吾輩は二年生就職してバイク通勤中に飛び出してきた車の横っ腹に激突、運よく軽い打撲で済んだがその後バイクに乗ることは無かった。2年生就職して夕方定時制のバイク通学時は暴走族ばりの騒音だった。ちなみに車通学は禁止だが学校の周りに駐車して苦情が殺到したそうだ。

実習場で記憶に残っていること

痛いことは心も青春ど真ん中いろいろあったが体で痛かったことは厚さ5mmの鉄板を万力に咥えてたがねとハンマーで切っていく実習。笛一斉!!握った左手のたがねにハンマーを打ち下ろして外れると左手に!痛いなんてもんじゃない。血で滑る手に布でたがねを縛り付け切り終わるまでできたのは一人だけじゃなくクラスみんなの血を感じ負けるか!という気持ちもあったかもしれない。これは仕事でおおいに役立った。この実習で血も流さず鉄板切れずに残した同僚は仕事が出来ず修理の現場からいろいろまわされてツナギはいつも綺麗!逆に現場で汗ぐっしょりの吾輩はうらやましく思ったこともあったが、一日があっという間に過ぎ去る充実感を味わってしまったことが給料に影響してくるとは頭の端にも思わず、汚いツナギそのまま車で帰る毎日だった

定時制高校生活での就職 

大阪万博が終わった後、就職先は少なくなったのかひとつのデーラーに何人も入り、その他は周りの小さな修理工場に。私は個人会社で社員250名余り、県内5,6か所の営業所を持つなぜか大型トラックデーラーに初任給税込¥32500手取り¥25000で入社。先輩も含めて10人、後輩がその後3,4人入社したと思う。後で、自転車屋から一代で築き上げた会社だと聞いてびっくり。

入社して

乗用車の教材での実習がすべてだったので、大型トラック何者ぞと気を張り詰めていたらマイクロバスで本社に。いろいろ会社の説明を聞いて次の日の予定は泊まり込みの親睦会、酒が出たかは定かではないがアッという間の一泊二日だった。次の日ツナギ姿初々しく?仕事かと、、、、、敷地設備の説明。新車、修理車、中古車置き場の外側から、一番驚いたのは整備工場、10トントラックが通路左右に10台その奥左に板金、右にエンジン修理その奥はエンジン単体の馬力テスターと見たことない大きさ。それに良く分かんないけど車検コースが別棟にありスピードメーターで後輪を回し馬力が計れる馬力テスター?、見学に来る人も日本人だけでなく外人の人も毎日来ていた。新聞記事に「東洋一の設備」と書かれたらしい。頭の中ボーっとして仕事?が、すぐに仕事はさせてもらえませんでした。2000坪はあると思う敷地周りのU字溝のお掃除、一週間ぐらい。同僚の中には座ってばかり、文句ばかりの奴らを尻目に言われたところ以外のところまで200mぐらい終わりかけた時お呼びがかかり、板金班、新車点検班、中古仕上班、一般修理車検班、そして私がエンジン班に決まり念願の仕事です

最初の仕事

エンジン班、文字どうりエンジン降ろして分解してきれいに組み直す。そこでの私の仕事はエンジン班長と副班長?がバラした各部品についているパッキンを落とし、灯油で洗い水や温水、最後は圧縮エアーで吹き飛ばして終了。うす暗い洗い場で顔もツナギは真っ黒、夏はサウナ、冬は感覚がしびれるほど濡れて、それでもこれもあれもと山積みの部品をすべて終えて「ほかにありますか?」と言ったとき、ちょうど副班長が作業していたバルブすり合わせを手伝う。中学のころ父の手元で覚えたことをしたら怒られて見てることに。父親の教えがすべて正しいとは限らないことがショックだったことを覚えている。

困ったときのエンジン班

自動車、トラックも含め走行中一番激しく内部が動いているのがエンジンだと言える。金属に包まれていて熱も音もあからさまでないが、ガス爆発で家が吹き飛ぶほどの衝撃をエンジンの中に閉じ込めて走っているのだから内部の消耗は今も昔も同じはずだが昔の各部品の材質、潤滑オイル等は今と比べると信じられないほど質が悪くエンジン班はフル回転。とはいっても私を含めても3人、どうするのか。早い!!、エンジン降ろして、分解清掃、部品発注、組み立て、組み込み、班長副班長すごい!!ただ「あれもってこい!」ノロしてると「コラ!!」と何か飛んでくる(-_-;) 3ヶ月過ぎたころには一人で組む上げることも出来て路線バスのエンジンを任されたこともあったが納車されたはずのバスがレッカー車で帰ってきたときは震えが来た。班長「お前が悪いんじゃないよ」と言われたがすぐにスペアのエンジンと交換作業が始まり終わったときは次の日になっていた。後日原因を確かめるべく分解してみると間違いなく自分が手をかけた部分で「すいませんでした」と言うと「今度から気をつけろよ」勉強できたと思う。そんな忙しい毎日のある日、どう見ても何かを満載してる10トンロングトラックが入って来た。「上り坂で速度が落ちてしまう」そうおっしゃるが何を積んでるかを聞くと青森からりんごを愛媛まで運ぶんだという。積みすぎと言いたいがこのトラックメーカーの看板を掲げている県内最大のトラックデーラーの誇りが言葉を飲みこんだ。早速馬力テスターで測定したら新車の半分近くまで馬力ダウンしている。マフラーからは黒い煙で後ろが見えなくなるほどだった。じつはこの車種についてはメーカーから無償修理の通達があったようだ。部品はすでに部品課に入荷していた。エンジン前の部品を離脱、カムシャフトの部品をトラック前方に抜いていきます。2mあまりのカムシャフトを組み込んで終了したのは夜10時過ぎだった。午前中入庫して運転手は守衛室で昼、夜食事してテレビ見ながら待っていて、さっそく工場を後にしていった。三、四日過ぎたころそのトラックが来たときドキッとしたが笑顔の運ちゃんがお礼のみかんを下したときは、ほっとして修理冥利に酔ったことを思い出す。

高速道路に出張

あのころは本当によく壊れた。立ち往生してるのは10ダンプ、高速道路上だ。念のためレッカー車と言ってもアメリカ映画みたいなボンネットトラックを改造したクレーン車だ。たどり着いて観ると左路側帯に10トンダンプが少し傾いた状態でとまっている。よく見ると後部左前のダブルタイヤが軸から外れて無いのだ。運転手に聞くと走行中車体が傾くと左側からタイヤが追い越してったという。とりあえず作業に取り掛かるがここは高速道路!!怖かった!!。釣り上げて1キロ位先にタイヤがあった。大きな事故にもならず本当によかったと運ちゃんとも話して、車検はどこでしたのか聞いたら自分で整備して車検だけ通してもらったとのこと。その頃の大型運転手は自分でなんでもこなす修理屋もどきが多く特にダンプはほとんどそうだった。